DUCATI GT1000とMoulton TSRとKangooとのなんともすばらしい日々を紹介します。(2018年度版)
katsu141さんこんばんは。いやぁ同世代ですねぇ。VANめちゃくちゃ懐かしいです。私もVANに目覚めたのは小6でした。もちろん当時は小学生の小遣いでとても買うことなんてできなっかったので店員さんにお願いして、買物をしたVANの紙袋を留めるVANと書かれたセロテープをシャツに貼ってもらったことを鮮明に覚えています。はじめてVANを着たのは中1になってすぐだったと思います。前が猫が寝転んでるの絵・後ろにVANと入ったTシャツでした。当時、小さい身体にダブダブのVANのTシャツを着て得意になっていたような気がします。その後VANminiが登場しやっと自分の身体に合った服が着れるようになりました。この紙袋も懐かしいですね。この紙袋に教科書を入れて学校に通った記憶が残っています。この紙袋1枚も宝物のように大切に扱いどこに行くにも小脇に抱えて出かけました。いつしか紙袋からブックバンド(死語ですか?)に教科書を挟んで通学するようになりました。その後ファッションの教科書はメンクラになりさらにTAKE IVYなるアメリカの学生を特集した写真集が出て、それを真似て洗いざらしのオックスフォードのBDにコッパン、素足にペニーロファーが定番となりました。しばらくしてポパイが発行され教科書がポパイになり行ったこともないアメリカ西海岸にめちゃくちゃ憧れビートルにサーフボードを積んで134号をイーグルスやアメリカを聞きながら走っていました。あの頃ポパイで紹介されるグッズが日本でなかなか手に入らず、今のようにネットで海外から購入するなんて時代でなかったのでほとんど羨ましく眺めているだけでした。そんな中で東急ハンズが1件だけ藤沢にありあの頃唯一アメリカの匂いのするショッピングセンターでした。波乗りの後は必ずと言っていいくらいハンズに寄ってウインドショッピングしてました。渋谷にも横浜にもハンズができるずっと前です。その後、結婚してすぐハマトラ時代が到来し、女性はフクゾーのポロシャツにトレーナー、ミハマの靴にハイソック、キタムラのバックを抱え元町を闊歩してました。 あの頃フクゾーのお店にはほとんど洋服が置いて無く、ポロシャツやトレーナー1枚買うのもカタログを見て予約して数ヶ月待ちという異常な状況でした。3年前からロングボードで波乗りに復帰をしましたが頭に残る記憶と歳を重ねた身体のギャップが噛み合ず、おそらく七里ケ浜の防波堤から眺めている人からは漂流者が切れ端に必死にしがみついてるようにしか見えないでしょう。(爆笑)いやぁ思わず熱くなって長文コメンになってしまい申し訳ありません。VANのロゴを見てタイムスリップしてしまいました。振り返ってみるとVANもポパイもあの頃の自分には衝撃的でものすごく新鮮でした。歳をとっても気持だけはあの頃のままです。これからもあの頃のままで人生を歩んで行きたいと思っています。PS.この写真の人形や本はkatsuさんのお宝ですか?
Billyさんこんばんは、やっぱり、丘さんもVANだったんですね。コメントに熱さを感じました。この写真は、VAN SHOP TAJIMIのサイトから無題借用させていただきました。IVY→トラッド→ヘビアイとか60年代から70年代にかけて、VANもそのスタイルを大きく変化させていきました。そもそも「でなければならない」的な形式美から、解放されて、ナチュラルな自然回帰志向に変わっていき、オーセンティックなアイビーは、あらゆるものの根底に流れているものの表に出てくることが少なくなってしまいました。ハイクオリティ、ローコストを特徴としたユニクロは、形式美のポジティブな面の定番化というポイントを生かして、効率化、ローコストカントリーの活用の低価格高品質によるトラッドのアパレルを再び、世に広めました。こうして、アイビーは、ファッションというよりも、制服に近い安心できる服となって根ずいてしまいました。そのユニクロもひと段落して、ふたたび、わたしの心の中ではオーセンティックなアイビーのテーストがむらむらとしてきました。今、ずーと変わらずに作り続けているブルックスブラザーズや、ラルフローレンなど、昔は手が出なかったアイテムも、アウトレットなど身近にさせてくれています。GT1000 モダンクラッシッククラブのTシャツか、スウェットか、エンブレム付きのブレザーか、作ってみますか?ちょっとまだメンバーが足りませんが、そんな楽しみも広がって行きそうですね。
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2 件のコメント:
katsu141さん
こんばんは。いやぁ同世代ですねぇ。
VANめちゃくちゃ懐かしいです。
私もVANに目覚めたのは小6でした。
もちろん当時は小学生の小遣いでとても
買うことなんてできなっかったので
店員さんにお願いして、買物をしたVANの紙袋を留めるVANと書かれたセロテープをシャツに貼ってもらったことを鮮明に覚えています。
はじめてVANを着たのは中1になってすぐだったと思います。
前が猫が寝転んでるの絵・後ろにVANと入ったTシャツでした。
当時、小さい身体にダブダブのVANのTシャツを着て
得意になっていたような気がします。
その後VANminiが登場しやっと自分の身体に合った
服が着れるようになりました。
この紙袋も懐かしいですね。
この紙袋に教科書を入れて学校に通った
記憶が残っています。
この紙袋1枚も宝物のように大切に扱い
どこに行くにも小脇に抱えて出かけました。
いつしか紙袋からブックバンド(死語ですか?)に
教科書を挟んで通学するようになりました。
その後ファッションの教科書はメンクラになり
さらにTAKE IVYなるアメリカの学生を特集した
写真集が出て、それを真似て
洗いざらしのオックスフォードのBDにコッパン、
素足にペニーロファーが定番となりました。
しばらくしてポパイが発行され教科書がポパイになり
行ったこともないアメリカ西海岸にめちゃくちゃ憧れ
ビートルにサーフボードを積んで134号を
イーグルスやアメリカを聞きながら走っていました。
あの頃ポパイで紹介されるグッズが
日本でなかなか手に入らず、今のようにネットで
海外から購入するなんて時代でなかったので
ほとんど羨ましく眺めているだけでした。
そんな中で東急ハンズが1件だけ藤沢にあり
あの頃唯一アメリカの匂いのするショッピングセンター
でした。波乗りの後は必ずと言っていいくらい
ハンズに寄ってウインドショッピングしてました。
渋谷にも横浜にもハンズができるずっと前です。
その後、結婚してすぐハマトラ時代が到来し、
女性はフクゾーのポロシャツにトレーナー、
ミハマの靴にハイソック、キタムラのバックを抱え
元町を闊歩してました。
あの頃フクゾーのお店にはほとんど洋服が置いて無く、
ポロシャツやトレーナー1枚買うのもカタログを見て
予約して数ヶ月待ちという異常な状況でした。
3年前からロングボードで波乗りに復帰をしましたが
頭に残る記憶と歳を重ねた身体のギャップが噛み合ず、
おそらく七里ケ浜の防波堤から眺めている人からは
漂流者が切れ端に必死にしがみついてるようにしか
見えないでしょう。(爆笑)
いやぁ思わず熱くなって長文コメンになってしまい
申し訳ありません。
VANのロゴを見てタイムスリップしてしまいました。
振り返ってみるとVANもポパイもあの頃の自分には
衝撃的でものすごく新鮮でした。
歳をとっても気持だけはあの頃のままです。
これからもあの頃のままで人生を歩んで行きたいと
思っています。
PS.この写真の人形や本はkatsuさんのお宝ですか?
Billyさん
こんばんは、
やっぱり、丘さんもVANだったんですね。
コメントに熱さを感じました。
この写真は、VAN SHOP TAJIMIのサイトから無題借用させていただきました。
IVY→トラッド→ヘビアイとか60年代から70年代にかけて、VANもそのスタイルを大きく変化させていきました。
そもそも「でなければならない」的な形式美から、解放されて、ナチュラルな自然回帰志向に変わっていき、オーセンティックなアイビーは、あらゆるものの根底に流れているものの表に出てくることが少なくなってしまいました。
ハイクオリティ、ローコストを特徴としたユニクロは、形式美のポジティブな面の定番化というポイントを生かして、効率化、ローコストカントリーの活用の低価格高品質によるトラッドのアパレルを再び、世に広めました。
こうして、アイビーは、ファッションというよりも、制服に近い安心できる服となって根ずいてしまいました。
そのユニクロもひと段落して、ふたたび、わたしの心の中ではオーセンティックなアイビーのテーストがむらむらとしてきました。
今、ずーと変わらずに作り続けているブルックスブラザーズや、ラルフローレンなど、昔は手が出なかったアイテムも、アウトレットなど身近にさせてくれています。
GT1000 モダンクラッシッククラブのTシャツか、スウェットか、エンブレム付きのブレザーか、作ってみますか?
ちょっとまだメンバーが足りませんが、そんな楽しみも広がって行きそうですね。
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